宮迫&ロンブー亮の謝罪会見を見て感じた事。―会見をしたら芸人は終わる―

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 芸能人の謝罪会見はいらない

宮迫の目のくまと、頬のこけた亮の顔が何とも痛ましい。

彼らの謝罪会見をノーカットで観て、涙が止まらなかった。

 

日本人は、いつから弱者を吊るし上げる文化にすり替わっていったのだろう?

個人的には、立場を利用し性犯罪や暴力沙汰、或いは明らかに搾取された側の被害者がいる場合を除き、芸能人は一切の謝罪会見を開くべきではないと強く感じている。

それはプライベートな浮気や不倫、麻薬や事故案件、更に今回の件の様な反社勢力との関わり合いを匂わせる宮迫たちの騒動についてでも。。

 

世間の大多数は、芸能人に状況説明と道義的責任能力を求めるが、彼らは高いモラルを要求される政治家でもなければ、真実を伝える責務を担う報道関係者でもない、ただの一介の芸人に過ぎない。

たけしの言葉を借りれば、彼らは猿回しの「サル」であり、そうして本当の自分を押し殺しおどけてみせる事で、お茶の間に笑いを届けてきてくれた。

 

テレビに品行方正を求めるのならば、見なければいい。

彼らがバラエティーやトークショーで語るのは、言わば社会で感じる違和感とそのを笑いに変換し伝えているだけで、その切れ味鋭い毒舌トークが、自分達のさみしい時の心の隙間を埋めてきたはずだ。

一部では、詐欺被害を受けた人間の心情に配慮しろという声もある。

けれどそんな人達は、誰に対しての正義感を持って言っているのだろう?

「静観」せず「声を上げる」事に無性に躍起になっている日本人は、本当に事の複雑さに目を向けているのだろうか?

 

 

 

 

 吉本のホンネと被害者芸人

真実を述べる事で、誰しもが幸せになるわけではない。

私的には今回の一件で、宮迫と亮の明暗はくっきり分かれた気がした。

 

吉本興業の岡本社長が『お前、テープ回してないやろなと。お前辞めて、1人で会見したらええわ。やってもええけど、ほんなら全員クビにするからなと。おれにはお前ら全員クビにする力がある』と言われました。何も言えなくなりました。

と宮迫は弁解してみせたが、視聴者の大多数がこの言葉に違和感を感じた通り、彼はこの瞬間に30年間自分を育ててきた会社より、ざわつく世論に迎合した。

 

業界は違えど、口の悪い芸能関係者と仕事をした事がある人間ならわかると思うが、これは吉本側から彼らに対する最大限の愛情だったのではないだろうか?

つまり、自分達のついた嘘から早く楽になりたくて世の中に迎合すれば、お人よしキャラの亮はそれなりに復帰できるとしても、その嘘を指示した宮迫の毒舌力は二度と元には戻らなくなる。

『(テレビ局の)在京5社、在阪5社は吉本の株主やから大丈夫や』

という内輪の秘密を暴露してしまった亮の発言も、どうして想像力のないネット住民から彼らを守り抜く姿勢を貫いた会社の姿勢として受け取れなかったのだろう?

真摯な態度を貫いた彼の発言で、とりあえずの真相を暴きたいリポーターや世間の留飲を一旦は下げたように見えるが、それまでの風当たりの強い態度を一気に軟化させてきたマスコミや無責任に人の人生を奪うネットの声を、彼らは本当に信じていいのだろうか?

彼は今回の一件で笑いをとれる芸人から、同情を受ける立場の被害者芸人へと成り下がった。

歯切れ悪く世間の矛先を会社にすり替えてしまった宮迫にも、これまでのような切れ味の鋭いツッコミを期待する事は、きっともうできないだろう。

 

多少横柄な物言いであったにせよ、大崎社長側は臆病な宮迫や単純な衝動にかられた亮等の今後の芸人人生を、長い目で見据えて必死に守りたかったはずなのに・・

 

 情弱な正義の前に晒された生贄

今回の騒動の発端は、宮迫が安易についたからはじまり、彼らが不安にかられ弁護士を交えて会社側と協議を始めてきた時点で、信頼関係が著しく損なわれた。

法律家を交えれば、間違いなくそこに血肉は通わなくなる。

言わば、身から出た錆というやつだ。

 

最低賃金を保証されない彼らの所属事務所を、ブラック企業と揶揄する方もきっと多いのだろう。

しかし、これは大きな間違い。

一部の映像業界でも言える事だが、芸人は一般社会とはかけ離れた世界で自分の立ち位置を模索している、言わば社会的“落伍者”なのだ。

そんな彼らが日増しにテレビのニュース番組に登場する事により、世間には大きな誤解が生じている様だが、元々は彼らは映像や俳優を目指す者達と全く一緒で、社会の枠にハマれない人間達の集まりだったはずだ。

そんな彼らに努力と想像力で補える夢を与え、テレビで活躍できるチャンスを作ってきたのが吉本興業で、引いては芸能界全体にこの事は当てはまる。

彼らがそのハングリー精神を培う為に、或いはそれを支える家族を養っていく為に、
直営業やアルバイトに精を出すのは至極当然で、それを応援こそすれど、批判する権利は誰にもない。

ましてや、今回の一件で渦中のはずの詐欺集団の実名報道や、その直接的な被害者の声すらマスコミは一切報道していないのに・・

 

そんな犯罪組織に関与してしまった彼らを、“ファミリー”と称した大崎社長の態度は全く納得のいくものだし、実質上の犯罪行為に関与したわけでもない彼らに、コンプラを照らし合わせる意味もさっぱりよくわからない。

 

隠ぺい工作にもとられそうな吉本の姿勢に、嫌悪感を示す方達もきっといるのだろう。

しかし元々がやくざな業界な芸能事務所に、いっぺんに清廉潔白な体質を求める蒙昧なシュプレヒコールは無視すればいい。

苦労や挫折、更には社会悪の狭間で耐え忍んできた“苦笑い”の本質を、きっと彼らは理解できないだろうから。。

それでも犯罪者を強く糾弾する事で、日増しに満たされない自分のユーフォリアを模索する世間の風潮の中で、吉本が関与した可能性のある詐欺グループとの関係断絶に、急場を凌がず、社内に専門機関まで設け改善に尽力していたであろう同社の姿勢は、個人的には非常に好感さえ持てている。

 

以下の記事でも述べてきたが、単純な善悪二元論は必ず社会の更なる歪を産む。

 

mariblog.hateblo.jp


臆病な日本人は、マジョリティーに寄り添う事で、自分の弱さが克服できているとどこか錯覚していないだろうか?

 

メディアに世話になっている立場上、はっきりものを言えない芸能人達に成り代わり、余計なお節介である事をはっきり自覚した上であえて言わさせてもらうが、

芸人やテレビをつまらなくし、彼らと会社の間に軋轢を生んでいるのは、間違いなく自分も含めた情弱で温室育ちな正義を振りかざす世論である

爆笑問題の太田や松本人志が、それを無理やり笑いに変え、彼らを必死に救おうとする様子はあまりに痛々しく、それでいて彼らの背中から滲み出る強い愛情には、涙が止まらなくなる。

 

自分達は顔の見えない世界で承認欲求を求める負のサイクルの中で、自らの手で疑心暗鬼に囚われる窮屈でさみしい世界を作り上げてはいないだろうか?

そんな世界で血祭りにあげられた宮迫たちは、相手の状況を自分の事の様に想像することのできないエセ正義十字軍の前に晒された、まさに生贄だったような気がして、そのあまりの虚しさと憤りの中、思わずペンをとらさせてもらったが、ボタンの掛け違いから正に飼い犬に手を噛まれた状態の大崎社長が、本日会見を開かざるを得ない心中を察するに余りある。