日本人は善悪を決めたがる。

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 負のサイクルから抜け出す

水戸黄門からくる文化なのだろうか?

日本人は大概のものの善し悪しを真っ二つに割ろうとする。

犯罪が起きれば被害者側の擁護に殺到し、容疑者側の素性やその経緯なんかには目もくれず。。

昨今の爆発的なSNSの普及や、テレビ業界の忖度のおかげでその声は更に激しさを増し、加害者側の言い分などは微塵も寄せつけない。

 

それじゃ、追い詰められた側の人間達は何処に辿り着くのだろうか?

 

そんな行き場のない彼らのわだかまりが、更なる悪意へと拍車をかけて変貌していくその恐ろしさを自分達は想像できない。。。

 

一応断っておくが、犯罪者に寛容になれという話ではない。

彼らはきっちりとその罪を認めて、それを一生背負いながら生き続けるべきだ。

 

しかし、そんな贖罪の意識の中から優しさが生まれる。

思いやりや道徳観、或いは博愛の精神が宿る事さえもあり得る。

なんて信じられないヒト達は、もう既に闇に魅入られているんだろうか?

 

・・ちょっと宗教的な様だが、

だからこそ人を罰する事と同じくらい、相手を赦す事も大事な事の様な気がしてくる。

 

近年の芸能界では、浅はかなアイドルや時代錯誤の俳優達が軒並み犯罪者に落ちぶれていってしまっているが、その歪を放っておけば、更に大きな冷情性に直面していくのは自分達だ。

秋葉原原宿の無差別殺人事件は、もうみんな忘れてしまったのだろうか?

或いは相模原の達観しきってしまった男を。

或いは座間の心が空っぽになってしまった青年を。

 

しかし大抵の臆病な日本人は、それに向き合おうとはしない。

貴方のすぐ真横に羊の皮を被った狼が潜んでいたとしても・・

そして疑心暗鬼に陥り、更に深い自分の殻に閉じこもっていく。。

 

その後にやってくるのは至ってシンプルな、愛のない世界

・・いや、もうとうの昔にそんな世界が始まっているのか・・・

 

そんな味気ない世界で寂しがり屋の日本人が満足できるわけもなく、仮想空間やネットでの交流にその活路を見出そうとするが、大抵の場合、それは上手くいかない。

 

初心で臆病な自分達は、まずその相手の状況を思いやる余裕がない

勧善懲悪化された二元論に落とし込みたいのも、自分で考える事がメンドクサクなって溢れる情報に身を委ねてきた結果であり、極度なリテラシーの低下。

 

テレビのコメンテーターや専門家の意見は、貴方の言葉ではない。

彼らは、大多数の人間が言ってほしいコトバを語る代弁者であり、病理学的な観点からのただの分析に過ぎず、そこにココロはない。

 

そんな自分達が他人の事を想像する土台を作れるのが、映画である。

 

自分にはそんな作品をブログで綴っていく事くらいしか出来ないけど、せめてその温度みたいなモノだけは、しっかり伝えていきたい。

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写真の彼女は、今、貴方にはどんなふうに見えていますか?