セネガル戦を明日に控え、何故か自分が眠れない。
多分この緊張感は、グループリーグ突破云々の前に、本田世代の雄姿を見れるのが最後に近づいてきているからのような気がする。
アラフォー世代の自分たちにとって今回のワールドカップは、釜本が夢を見せ、カズが時代を創り、ヒデが世界に広めた日本サッカーの集大成なんじゃないだろうか?
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本田の粋がり様はすごく好きだ。
それは自分の弱さを自分で覆い隠し、誰に揶揄されようがお構いなしで自分の世界を創り上げていく。
どうも俯瞰目線になってしまうが、こういう若者を自分は強く応援したい。
こんなにもピュアでストイックな男が、今の日本社会の中にいるだろうか?
日本サッカー全体の事を考えれば、西野にカタールに繋がる若手をもう少し連れて行ってもらいたかったが、そんな生易しい感覚では生き残れないのがあの大舞台の現実なのだろう。
だとすれば、、
やはり、誰に何を言われても本田の雄姿がみたい。
それは自分の弱さを自分で覆い隠し、誰に揶揄されようがお構いなしで自分の世界を創り上げていく。
どうも俯瞰目線になってしまうが、こういう若者を自分は強く応援したい。
こんなにもピュアでストイックな男が、今の日本社会の中にいるだろうか?
日本サッカー全体の事を考えれば、西野にカタールに繋がる若手をもう少し連れて行ってもらいたかったが、そんな生易しい感覚では生き残れないのがあの大舞台の現実なのだろう。
だとすれば、、
やはり、誰に何を言われても本田の雄姿がみたい。
彼はどのようにして中田から受け継がれたバトンを下すのか?
・・そして、それを誰に託すのか・・?
・・そして、それを誰に託すのか・・?
コロンビア戦で両太腿を打撲した彼は、正に今満身創痍。
追い詰められようやく発奮し始めた香川にポジションを取られ、後半からの秘密兵器に甘んじている彼だが、そんな控え目な最後は彼の美学にそぐわない。
「日本サッカーに必要なモノは得点力」
なんて世間では合言葉の様に言われているが、本当の弱点はそこじゃない。
追い詰められようやく発奮し始めた香川にポジションを取られ、後半からの秘密兵器に甘んじている彼だが、そんな控え目な最後は彼の美学にそぐわない。
「日本サッカーに必要なモノは得点力」
なんて世間では合言葉の様に言われているが、本当の弱点はそこじゃない。
それは限られた系譜の中で脈々と受け継がれてきた精神力。
世界的なフリーキッカーの名手だった俊輔が次の中田になれなかった最大の原因は、実はそこにある。
釜本にしろカズにしろ、あのエゴイストで傲慢にも見える程のむきだしの闘志を受け継いでいたのが中田だった。
彼らが世界に通用したのは、テクニックでもフィジカルでもなくその貪欲さ。
全体主義で自信のない我々日本人は、そんな彼らに夢を見たのだ。
釜本にしろカズにしろ、あのエゴイストで傲慢にも見える程のむきだしの闘志を受け継いでいたのが中田だった。
彼らが世界に通用したのは、テクニックでもフィジカルでもなくその貪欲さ。
全体主義で自信のない我々日本人は、そんな彼らに夢を見たのだ。
ドイツ大会で日本が一勝も取れずにグループリーグで散った時、中田はピッチに倒れこんだまま立ち上がれずにいた。
同世代の自分たちも、膝をついて泣いた。
それは少し過大解釈をすれば、サッカーを通じて自分達が世界に抱いている劣等感を払拭出来るかもしれない瞬間だったからだ。
そして本田の引退と共に、日本サッカーは旧態依然の組織力を重視するスタイルに戻っていった。
それは自分たちの民族的な長所なのかもしれないが、個ではなく団体でしか世界と向き合えない自らの脆弱性を見せつけられている様で、やけに寂しさが込み上げてきたのを今でもはっきりと覚えている。
そんな時、彗星の如く現れたのが本田だった。
2006年オランダとの親善試合時、彼はただ生意気で世間を知らない若者の様に、当時誰もが認めたセルティックのプレースキッカーだった俊輔を押しのけ、自分がフリーキックを蹴ろうと割って入った。
その余りの不遜な態度に俊輔は失笑。
自分たちもその蒙昧な本田の姿に、微笑ましくもどこか鼻で笑ってしまっていた。
しかし本当に蒙昧だったのは自分たちだった。
彼はその後の2010年南アフリカワールドカップで、その俊輔を押しのけ名実共に日本サッカー界の代名詞となる躍進を遂げた。
今から思えば、あれだけの気概を示せる若手は今の代表選手の中には見当たらない。
同世代の自分たちも、膝をついて泣いた。
それは少し過大解釈をすれば、サッカーを通じて自分達が世界に抱いている劣等感を払拭出来るかもしれない瞬間だったからだ。
そして本田の引退と共に、日本サッカーは旧態依然の組織力を重視するスタイルに戻っていった。
それは自分たちの民族的な長所なのかもしれないが、個ではなく団体でしか世界と向き合えない自らの脆弱性を見せつけられている様で、やけに寂しさが込み上げてきたのを今でもはっきりと覚えている。
そんな時、彗星の如く現れたのが本田だった。
2006年オランダとの親善試合時、彼はただ生意気で世間を知らない若者の様に、当時誰もが認めたセルティックのプレースキッカーだった俊輔を押しのけ、自分がフリーキックを蹴ろうと割って入った。
その余りの不遜な態度に俊輔は失笑。
自分たちもその蒙昧な本田の姿に、微笑ましくもどこか鼻で笑ってしまっていた。
しかし本当に蒙昧だったのは自分たちだった。
彼はその後の2010年南アフリカワールドカップで、その俊輔を押しのけ名実共に日本サッカー界の代名詞となる躍進を遂げた。
今から思えば、あれだけの気概を示せる若手は今の代表選手の中には見当たらない。
日本サッカーが衰退しつつある最大の原因は、このメンタルを受け継ぐ人材が未だ現れない現状にある。
そしてそんな長かった本田の冒険も、もうすぐ終わろうとしている。
いや、彼はそのバトンを渡す相手が見つからず終われないだけなのかもしれない・・・
心に何処かひっかかる寂しさを感じながら、子を持つ親の目線か、弟の成長を見届ける兄の心境かわからないが、そんな本田の最後の晴れ舞台にもう一度夢を膨らませ、大一番での健闘を祈り続ける。